自分の右耳について

今日は字ばかりの長い記事だよ。


二日前の健康診断の記事で右耳の聴力がひどいということを書いた。
このことで知らせてなかった友人たちからいくつかメールやら電話があった。
「気遣ってあげれなくてごめん」みたいな内容のものもあった。謝ることないよ。言わなかったオレが悪い。
だから今更だけど言っておく。
オレの右耳は突発性難聴という特定疾患に指定されている難病だそうだ。二日前の記事のとおりほぼ聞こえない。

突発性難聴 - Wikipedia

忘れてて言わなかったわけじゃないんよ。当時(学生のときね)はなるべく言いたくなかった。言わなくて済むならそれがいいと思っていたから。
だから大学での人付き合いは無意識的にあまりしないようにしていた気がする。
それでも生活のためにバイトはそれなりにやったので学内より学外の友人の方が圧倒的に多かった。
今回もそんな人たちからのメールだった。今まであんまり話してなくてごめんなさい。今後の付き合いもあるから今更だけどまとめてみるよ。


2002年1月。
朝起きたら何かおかしい。おかしい気がしたが何がおかしいのかしばらく気づかなかった。
母だったか父だったかに話しかけられて気づいた。右耳が何も聞こえない。一切何も。
今は騒音レベルなら聞こえる(らしいが自覚はない)が発病したてのころは本当に何も聞こえなかった。
詰まっている感じがしたので頭を傾け右耳を下にしてジャンプしてみた。水泳で水が詰まったときの対処法だ。もちろん意味がない。
意味がないがその時はなんで聞こえないのか全くの謎だった。水か何かが詰まってるぐらいしか原因は思い浮かばなかった。
右耳以外はいつもどおり絶好調だったのでその日は普通に学校に行った。


母が病院で事務をしているので耳鼻科の医師にオレの症状について確認してきてくれた。
突発性難聴とみて間違いない」と言われたそうだ。
よく分からんがこのときはまだ治るものだと思っていた。たいした病気じゃないだろうと。
次の日は学校に行ったんだっけ?。よく思い出せないけど母の勧めで夜になってから病院に行ったのは覚えてる。
聴力検査をしたら右耳は 110 db 以上の音がまるで聞こえていない。
医師は病名と症状について説明し「紹介状を書く」と言った。つまり入院を勧められた。え?入院?
当時は高校三年で卒業まで1ヶ月とちょっとだった。なんか皆勤賞目前だった。
迷ったけど結局次の日も学校に行った。行ったけどだんだん眩暈と吐き気がしてきた。
体調はどんどん悪くなっていき、このままいくとたぶん歩けなくなると思って早退した。
病院に直行。入院決定。皆勤賞消滅。


入院期間は一週間くらいだったかな。よく覚えてない。
治療内容もあんまり覚えていないので端折って書く。
基本的には毎日三種類ほどの点滴を受けていた。なので寝ていることが多かったように思う。
トイレに行くときは点滴スタンドを使うんだけど、オレの身長に合う高さのものが無くてスタンドを押すんじゃなくて持ってトイレに行ってた。
ちなみに普通に押していくと血が点滴の方に逆流していくという有様だった。
あとは毎日麻酔科に通って首に注射を打ってもらっていた。これがとてつもなく痛い。そして怖い。だって首ですよ。下手な人にやられるともうサイアクだった。
他だとMRIで脳の断面を撮影したり、心電図に似た装置で電気信号を検査したりとかした。
これらも含め聴力以外の検査では正常な値が出ていたらしく原因はまったく不明な状態だった。故に特定疾患なんだろうけど。
で、少し回復はしたけど完全には治らぬまま退院。


ここからはステロイドなどの薬での治療になった。
2月に入り、高三はまるっと休みになるので友達と自動車学校に通い始めた。
自動車学校は入院していた病院のすぐ近くにあったので通院しながら教習を受けれた。
そしてある日、これ以上の回復はおそらく見込めないと告げられた。
驚きはしなかった。薬の効果は全然無いような感じだったし、おそらく治らないだろうとこのころには自覚していた。
でもこれからは周りに僅かでも迷惑をかけながら生きていかないといけないと思うと少し絶望感はあった。
ステロイドの副作用なのか太ったり体毛が濃くなったりしたような気はする。こんな効果いらない。


大学に入って知らない人と出会う機会が多くなり、そのたびに耳の話をしなきゃいけないのがすごく嫌だった。
だからバイトは短期のものに限定していた時期がある。1〜2日程度なら耳の話をしなくても乗り切れたから。
ある日短期バイトで知り合った人に「面白いオッサンが経営してる居酒屋でバイトしないか」と誘われてバイトすることになった。
そのオッサンは只者じゃなかった。開店と同時に常連と飲み始め2時間後には床で寝る人だった。
なので店を仕切っていたのは女将さん。バイトへ的確に指示を出しつつオッサンをビンタしたりしていた。オレはこの二人が大好き。
で、今回メールしてくれたのはこの店で同じバイトとして知り合った仲間たちだ。
今思い出せば当時から信頼できる仲間たちだった。話しておくべきだったと思う。
当時オッサンと女将さんにだけは耳のことを話した。
その時の二人は他の人達とは違った反応だったのを覚えてる。
女将さんは「左耳も誰かにくれてやるぐらいの人間になりなさい」と激励してくれた。
オッサンは「耳が聞こえないのか。大変だな。オレは痔だ」と言い放った。女将さんは無言でオッサンをビンタした。
応援のつもりで言ったらしいのだが女将さんには伝わらなかったようだ。オレもよく分からなかったけど初めて人に話してよかったと思えた。
それからかな、耳の話をすることがあまり嫌とは思わなくなった。二人には本当に感謝している。


会社に入ってからはいい出会いが多くて、右耳は笑い話にできるぐらいになった。
都合の悪いことは右耳のせいにして聞こえないふりすることもできると気づいた。
メリットも無くはないわけだ。今後も右耳の活用法を見出していこうなどと考える今日このごろ。


うまくまとまらないけど書きすぎたのでこの辺にしておく。なんとなく分かってもらえたかね。